鹿児島(知覧)研修 part3
鹿児島研修旅行2日目。
前回は、パワースポットである霧島神宮のお話でした。
その日の午後から、南九州の知覧町へ車を走らせました。
霧島市から約2時間半くらいで到着!
そこでは、同じ歯科関係の方を中心に(共に知覧特攻隊について
学ぼう)という同志たちが集結。
まずは、知覧特攻記念館へ行きました。
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正直、私は『戦争』というと、第二次世界大戦の被害が大きかった
広島と長崎のことしか知りませんでした。
この研修に来るまでにこの知覧という地のこと、また大東亜戦争
(太平洋戦争)の沖縄戦のことを知るために2本の映画を観て
いました。
『僕は君のためにこそ死ににいく』
『男たちの大和』
どちらも当時、日本がアメリカ軍に沖縄を捕られまいとして闘った
特攻部隊についてのお話でした。
とくに、石原慎太郎氏監督の『僕は..』の方は人類史上類のない
爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特攻隊員のお話で
まさに、この知覧が舞台となった映画でした。
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記念館の中は、戦闘機の実物が展示してあったり、当時の軍服や
写真、遺品、なにより隊員の遺書(絶筆)がズラッとガラスケースに
展示されていて驚きました
時間が限られていたので、足早に展示を見ましたがやはり、絶筆
(遺書)のところでたくさんの文面を読んでいるうちに、ほんの68年
前に当時17や18〜20代の若者が「明日、自分は特攻隊兵として命を
捧げる覚悟で記した手紙」を読んで今の自分の状況とまったく違うことに
とまどいを覚えながらも、なんとも言えない苦しい気持ちになりました
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何通も読んだ中で一番心に残ったのは久野正信中佐が3歳と5歳の子供に
残した手紙でした。
その文面は、全部がカタカナで書かれておりました。
なぜカタカナで書いたかという理由を読んでグッときました。
小学校に入学すると、当時はまずカタカナを習ったそうです。
父親として、少しでも早く子供達がこの手紙を読んで欲しい…
そんな願いが文面からとても伝わってきました。
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印象に残った文面を抜粋します。
『オオキクナッタラ、ジブンノスキナミチニススミナサイ』
『ヒトノオトウサンヲ、ケッシテウラヤンデハイケマセンヨ』
『オカアサンノシゴトヲ、テツダイナサイ』
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涙が溢れました。
とても貴重な資料を拝見し、今がいかに平和か…
平和の大切さ、ありがたさ、命の尊さを感じました。
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次回は、その後の足取りをお伝えいたします。
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川崎大師近く 子供も大人も笑顔おふれる ひやま歯科クリニック
歯科衛生士:ホワイトニングコーディネーターのひやまでした